対談/vol.15

しょくスポ対談

vol.15 竹村 吉昭 さん

今回のゲストはジェイエスエスの競泳コーチ竹村吉昭さんです。
シドニーオリンピック100m背泳ぎで銀メダルを獲得した中村真衣選手や、
北京オリンピック100m、200m平泳ぎに出場した種田恵選手の指導もされていた竹村コーチ。
情熱と冷静さを併せ持つ竹村コーチが、一流の指導者になるまでの道のりを語って下さりました!
スポーツや栄養関係者はもちろんのこと、選手を支えるご家族、自分の進路を迷っている方に
とっても勇気づけられるメッセージが満載です。
ぜひご覧ください!

竹村 吉昭(たけむら よしあき)


㈱ジェイエスエス 事業本部 東日本事業部 部長
選手強化担当、日本体育協会公認 競泳上級コーチ、
日本水泳連盟競泳委員 、JOCオリンピック強化スタッフ。

1955/08/28京都府生まれ。
大阪体育大学体育学部卒業。
1979年株式会社ジェイエスエス入社し、1991年4月より
中村真衣・河本耕平を指導、94年に世界選手権の代表に選出され200m背泳ぎにて8位に入賞。
以降中村と共に代表のコーチとして出場。98年1月の世界選手権では100mで2位、200mでは3位に入賞。2000年のシドニーオリンピックでは100m背泳ぎで銀メダルを獲得。
’01年、ユニバーシアード北京大会のナショナル・チーム
ヘッドコーチを歴任、見事、河本耕平の50mバタフライで
日本記録での優勝を生み出す。
その他、2008年の北京オリンピック100m、200m平泳ぎに出場した種田恵選手の指導も行っていた。

日本代表コーチ歴: ’95 パンパシフィック選手権(アトランタ)、’97 東アジア大会、パンパシフィック選手権(福岡)、’98 世界選手権(パース)、アジア大会(バンコク)、
’99 短水路世界選手権(香港)、パンパシフィック選手権
(シドニー)、’00 オリンピック(シドニー)、
’01 東アジア大会(釜山)、世界選手権(福岡)、
ユニバーシアード大会(北京)

ブログ:竹村マリオ 科学的根性主義


※プロフィールは対談公開時(20109月22日)の
  ものとなります。

競泳の指導者になる

-まず、竹村コーチの現在のお仕事の内容を教えてください。
中学生、高校生の競泳選手コースの指導担当。5つの水泳スクールのマネージメントやJSS強化委員会の委員長。
選手強化の計画全般などです。
-競泳に関わる様々なお仕事をなされていますが、ご自身も元競泳選手だったのでしょうか?
いいえ。小学校6年生から社会人1年目まで(高校のOBチームの一員
として京都の社会人リーグ1部で)長い間サッカーをしていました。
-そうなんですか。では、なぜ長年プレーしてきたサッカーではなく、競泳の指導者のなられたのですか? 

▲指導風景

一言でいうと“縁”ですね。大阪体育大学を卒業後、非常勤で定時制高校教師を半年間やり、スキーに関する仕事で冬は白馬の民宿でお手伝いをしていました。その後、京都へ戻り職を探し、そこで目についたのが今いる会社です。面接を受けると、たまたま京都事業所の主任コーチが大学の先輩だったんです。
それでアルバイトとして入社し、1ヵ月後には正社員となりました。正直のところ当時、競泳の事はよくわからなかったんですが、水泳の指導は大学でも多少学んでいたのでなんとかできるかと…。しかし、入ってみると全くできないなと感じましたね。
-世界で活躍する選手を指導してらっしゃる竹村コーチにもそのような時期があったのですね。
ところで、最初から勤務地は新潟県だったのでしょうか?
いいえ、約1年京都に勤め、そのあと新潟の新規校オープンの話があり、新潟なら好きなスキーができる、かつ新規校なら直接責任者の元で勉強できると言われ、「行きます」と答えました。そこでは開校の準備段階からお手伝いをしましたが、新規の立ち上げは思いのほか大変でしたね。当時、新潟県内にスイミングスクールはありませんでしたから、スタッフはみんな新卒の学生か他の仕事をしていた水泳経験者ばかり。最初の話とは違って、責任者の方はいつまで立っても来ませんでした(笑)。でもそのお陰で、一から作り上げることの大変さを学びました。自分も経験はあまりないのに、アルバイトの研修や指導も行いましたね。
-教えることは自分の力になりますからね、急成長に繋がったのではないでしょうか?
昔から教職に興味があり、体育の教師になることも考えていましたが、当時は教員の採用が全くありませんでしたので、こうして今があります。結局、水泳コーチとして3年働くつもりが30年経ってしまいました(笑)。

選手との出会い

-こうして競泳の指導者へなられたわけですが、現在はJSSの強化委員長として選手の育成をしているのですよね?
去年の10月に引継ぎをして、年に数回の合宿の企画などこれからもっと色々やっていきたいと思っています。   
-30年間の競泳のコーチ人生の中で、特に印象に残っている選手はいますか?
10年おきに選手の強化の方法は変わってきていますが、自分が一番長く付き合ってきた選手は「中村真衣」
ですから、一番印象は大きいですね。彼女が小学校6年生から26歳の約15年間です。
それに彼女は世界でも活躍しましたから。
-世界で活躍できるような選手は、たくさん選手がいる中で最初からわかるものですか?
中村の場合は運動神経もよく、同じ年代でも全国で活躍していた女の子達よりは強くなると思いまいたね。私自身、ジュニア(中学・高校)の大会で決勝に残る子は見てきましたが、全日本などに通じる選手は初めてだったので、最初は彼女がどこまで伸びるかはわかりませんでしたね。今では多少は「この子なら強くなるかな」と感じることはありますけど…。彼女のように素質があっても、世界で活躍できるような選手は一生に1人出会えるかだと言われています。せめて10年に1人くらい出会いたいものですが…。10年おきに選手の強化の方法は変わってきていますが、自分が一番長く付き合ってきた選手は「中村真衣」ですから、一番印象は大きいですね。彼女が小学校6年生から26歳の約15年間です。それに彼女は世界でも活躍しましたから。
-でも、水泳指導者の中でも、世界で戦える選手に出会える方は数少ないのではないでしょうか?
日本でオリンピックのメダルを取った選手のコーチは最近では4人しかいないんです。
本当にいい経験をさせてもらっています。
-もちろん選手本人の素質や努力も大きいと思いますが、コーチとの相性や指導法も重要だと思います。15年間も彼女を育て、心身共に成長する中で、指導法は変えていったのですか?
最初の頃は選手が先に伸びていき、選手に引っ張られましたね。そこから自分もその成長を続けさせるために何が足らないかと考え、時には自分が先へ行って引っ張ったり、選手に引っ張られたり…、その繰り返しではないですかね。自分の指導も磨かれましたね。
-とてもやりがいのあるお仕事ですね。
元々教員を目指していたので、子どもたちが出来ないことができるようになる、その時の素敵な笑顔を見るのが好きですね。こういう子ども達のために仕事ができることはうれしいなと感じます。選手がベストを出した時の顔は一瞬ですが、どんな小さな大会でもこっちも幸せになれるし、選手もいい顔してくれます。
-そうした笑顔のために先生は頑張れたと思うのですが、最初はどのように指導法を学んだのですか?
最初は、今まで一生懸命やってきた人達の練習方法を真似したり、資料を集めて読んだり、生理学的な事も自分でもう一度整理したりしました。水泳指導者の講習会へ行ったりもしましたね。
-スポーツ栄養士もそうなのですが、机上の勉強はできても、現場でどれだけ選手の能力を引き出してあげられるかはテキストベースだけでは難しいと感じます。
やはり、その選手に合っていなければ何もならないですしね。ある時には上手くいっても、ダメな時もある。良いものは取り入れて、悪いものはもう一度考える。そういう繰り返しだと思っています。
-一般的に競泳の選手は泳ぐ事だけの練習をしていると思われがちですが、実際にはどのような形で
トレーニングを行うのですか?
水泳には水泳の特性があります。水の中にいる時間が長いですが、水泳では鍛えられない部分もあります。特に足腰を鍛えるとか。立って競技するものではないので、陸上でのトレーニングよりも足腰は弱くなります。
そのために、陸上のトレーニングは大切です。足腰を鍛えるために走ったり、ウエートトレーニングや筋トレもします。
基本的に朝練習は5時半~6時に陸上トレーニングをし、6~8時は泳ぐ。
周に2回はウエートトレーニングもしますね。十分とは言えませんが取り入れています。もっと上のレベルへいくにはまだまだ足りないと思いますが、壊れない体作りが大切です。
-さらに強い選手を育てるには、メンタルケアもとても大切だと思います。
キツイ練習をこなすモチベーションを保つ秘訣はありますか?
自分たちの目標を認識させ、そのために何をしたらいいか、今できているか、足りないものは何か…これらの繰り返しだと思います。最近は水着の変化の問題もあり、選手もコーチも戸惑いながらやっていますね。
人がもって生まれた性格、考え方を変えるのは大変ですが、あるべき姿へ変えられるかで選手が自信を持つことにつながります。そのバックアップが必要なのです。特に強くなり五輪に出るような選手になると、
人が周りで見ていて、注目され、評価される。そのため人の手本となり、行動をバックアップしてもらえるようでないと難しいです。そういう話しをしますね。
-日本で競泳は小さい子の習い事No.1ですので、続けられる環境が整えばトップになる選手が増えるのではないでしょうか?
日本では幼児・ジュニアを対象としたスイミングクラブがとても多いですね。その中から上へつながっていくケースも他の国よりは多いと思います。
しかし、アメリカなどは日本とは全く違い、強化中心のスイミングクラブがあるんです。
競技人口の違いはあると思いますが。
-ところで、先ほどお話がありましたが、朝から陸上トレーニング、その後に泳ぐという練習はトップを目指している選手なら誰でも行うのですか?
これは最低ラインだと思います。いま私が見ている選手は全員レベルが高い、というわけではないですが、最低このくらいしていないとトップへは行けないですね。ベースがないと、その上の積み重ねはできないと思います。大学に入ればもっと厳しい。今やっていることは決してすごい事ではないんです。
人よりかは時間をかけてやっているからこそ、進学してもある程度できるのではないでしょうか。
-やはり陸上トレーニングを入れることでケアができるのですね?
そうですね。以前、取り入れていない時にはハードな練習で肩の故障や腰痛持ちの選手もいました。中学、高校で身体の変化も大きい時期ですから。でも今はあまり聞きません。
今はどのチームも陸上トレーニングをやっていますし、これがベーシックになっています。
-その他、選手を強くするために他に取り入れていることはありますか?
年頃の女の子は急激な体重の増加が起こります。4,5kg増えることも多いです。
その時に記録の停滞は必ず起きます。努力していても同じ努力では記録も伸びない時がありますが、その時にさらに努力が必要だという事に気付くかどうか。なかなか難しいですが、栄養セミナーや食事アドバイスなどが受けられる環境をつくるように努めています。

選手と共にオリンピックへ

-30年間の競泳指導の中で、特に嬉しかったこと、印象に残っていることはありますか?
やはり、一番はシドニーオリンピックで中村真衣が銀メダルを取った瞬間やその前後ですね。その場にいて、ウォーミングアップ中もワクワクしていまいした。今回は金メダルを取とりにいける!という感覚でいられました。
負ける気がしなかったですね。自分がオリンピックの決勝の場にいれることが楽しかったです。
-緊張感よりもワクワクしていたなんて、素晴しいですね!
アトランタオリンピックの時は代表のコーチとして入る事ができませんでした。
一、応援者としてしか参加できなかったのです。その応援席と選手の間のフェンス1枚がとても厚く感じました。指示も出せない、何も言ってあげられない悔しさ、
一緒に戦っている気がしなかったですね。

-そして見事、中村真衣選手はシドニーオリンピックで銀と銅メダルを獲得。アトランタ後の4年間も
竹村コーチが指導されたんですよね。
新潟を離れ、中村の大学(東京)へ一緒について行ってトレーニング指導することができたのは、私にとってもいい経験になりました。長い間、選手を見続けることができましたから。普通は選手が高校へ行く時に手が離れてしまいますからね。

家族への感謝

-選手と共に東京へ行くいい経験ができたとおっしゃられましたが、コーチご自身にもご家庭がありますよね?
そうですね、子どもが中学生から高校生の時だったので、反抗期もありました。
しかし家内が心配かけないように気遣ってくれました。ありがたいですね。
-竹村コーチのお子さんも競泳をやってらっしゃったんですよね。
小さい頃は「なぜ自分を指導してくれないのか」なんていう思いもあったのではないでしょうか?
そうですね、息子には何も教えなかったです。
息子を担当しているコーチもいましたので。何か聞いてきた時には相談にものりましたが、あまり言わなかったですね。
-親として、指導者として、色々な葛藤があったと思いますが、結果的に息子さんも竹村コーチと同じ道に就いたという事は、お父様のことを尊敬している証拠ですね。ステキな親子関係ですね。

一流指導者になるために大切なこと

-ところで、最近の若い人達の中には、スポーツ指導者になりたいという人がたくさんいますが、実際に現場では大変なことも多いと思います。竹村コーチは仕事を辞めたいと思ったことはございますか?
選手と上手くコミュニケーションが取れずに苦しかったり、周りの新しい環境に入るのは大変ですが、色々やりながら仲間に入っていくことは必要なことですからね。昔は家内に相談にのってもらったこともありましたが、辞めたいとは思わなかったですね。突っ走っていましたね。止まるのが怖かったためか、走り続けていました(笑)。
-本当に選手の指導がお好きなんですね。でも、辞めたいとまでは思わなくても、毎日、竹村コーチ自身がタイトなスケジュールで動いてらっしゃいますから、肉体的に辛かったり、時には練習メニューが間に合わない!なんて焦ることはございませんか?
それはありますよ。でも結局、翌朝早く起きて練習メニューを仕上げるなど、なんとかやりこなしますね。選手たちも、キツイ練習して、学校へ行って勉強して、頑張っていると思います。ならば、自分たちも頑張らないといけないと思いますね。仕事が思う通りにいかなくても、そこで諦めたら、選手にも申し訳ないので…。選手にも負けられないなと思いますね。
-さすがですね!きっと、コーチががんばっているから、選手達もついていてくるのですね。一流の指導者になるためには、何が一番必要だと思いますか?
「それは一流だと思わないことでしょうね。」これだ、と思ってしまえば成長しないと思います。選手もいろんな選手がいますから、これでいいということはない。いつも悩みながらなんでダメなのかなぁ、どうしたら伸びるのかなぁと思いながらやっています。みんながベストを出せるには、どうしたらいいかを常に考えてますね。着いて来られない子にはどうするか、トップはトップを走り続けるにはどうしたらいいか。例えば一度日本記録を出してしまえば、常に日本記録を出さないとベストではない。でもこれが仕事ですからね。
ここで止まれば、終わってします。
一流の指導者としてのゴールはないですね。
-「一流の指導者としてのゴールはない」とのことですが、走り続けるためには、指導者自身の健康管理も必要になると思います。
竹村コーチご自身が実践されている健康管理術を教えてください。

睡眠は毎日4時間半~5時間くらいと短いですが、できるだけ選手と一緒にトレーニングをするようにしています。
食事は長年、量もパターンも変わらずちゃんと食べてますね。普段は朝早かったりしますからそんなに深酒もしないですし。ただ、合宿へ行くと太ります。これは危険ですよね。
選手と同じように食べますから…(苦笑)。気をつけます(笑)。
-はい、がんばってください!
最後に、今後の夢、目標をお聞かせください。
やはりもう一度オリンピック強化選手を輩出したいですね。
そのための基礎となる体作りをある程度、考えながらやっています。
-是非また何年後かにはオリンピックに出る選手を期待しています。
自分の年齢もありますし、難しいのはありますが。
-いえいえ、諦めずに是非もう一度頑張って欲しいです。
はい。
-今日は本当にありがとうございました。

編集後記

「中村真衣選手の栄養サポートを行ってくれる人」ということで、私に声をかけてくださった竹村コーチ。
知識と経験に裏打ちされた指導は、選手はもちろんのこと、保護者や他の指導者をも納得させるほど。
それは常に選手のことを考え、ベストな指導法を求めてらっしゃるからできることなのですね。
一流の指導者になるための秘訣を「一流だと思わないこと」と言い切った竹村コーチ。
このコメントは名言ですね!
また、一緒に選手のサポートができることを期待しています!                こばたてるみ
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